History of 民藝館通り

先週末の土曜日に一般社団法人まるにわ主催の民藝館通り勉強会シリーズ②「History of 民藝館通り」を開催いたしました。

新鳥取県史歴史編さん調査委員会・鳥取地域史研究会会員の佐々木孝文さんを講師にお迎えし、鳥取駅前民藝館通り周辺エリアの歴史について勉強し、参加メンバーで懇親を深めました。

鳥取城の堀外に位置する現在の民藝館通り周辺は、古くは(江戸時代)鳥取藩の下屋敷(別荘地)「衆楽園」だったとのこと(別荘地の池だった)。その後、明治時代になり払い下げられ、花街となったとのことです。明治末期から大正時代が花街の全盛期で多くの芸妓でにぎわっていた様です。しかしながら、徐々に芸妓が娼妓を兼ねることも増え、「瓦町遊廓」と呼ばれたりもしています。

ちなみに鳥取市の花街は堀(旧袋川)の中の本町と、堀外の瓦町の2つがあった様で、前者は公人などを中心に賑わい、民藝館通り周辺の後者は学生や軍人に支持された地域だったとのことです。

その後時代は昭和に入り、鳥取大震災(S18年)と、鳥取大火(S27年)のタイミングで建物も建てかわった上、売春防止法施行のS33年以降、当時の建物が役割を変えながらも残ってきたのが現在の姿です。

講師の佐々木さんには、現地の今の写真をたくさんお示しいただきながら、さながらブラタモリの様に、「昔川だった道」とか「花街として賑わっていた証」などを現在の街の所々から立証してご説明いただきました。

歴史を知ると、街を見る目が変わるということを実感した一日でした。講義と懇親会が終わった後に、参加者の一部メンバーで、夜間のブラタモリを実践すべく歩いてみたことも大変楽しかったです。

今後も一般社団法人まるにわでは、民藝館通りエリアの活性化事業に取り組んで行きますので、是非ともご注目くださいませ。