鳥取県内における中間支援活動約20年のGOD! 特定非営利活動法人bankup ( 旧・学生人材バンク ) 代表理事 中川 玄洋さん

≪年表≫

出身:静岡県沼津市
静岡の高校卒業後、鳥取大学農学部へ。
大学在学中は森林ボランティアや環境サークルで活動。
大学院 1 年生で「学生人材バンク」を立ち上げ、以降 20 年続く NPO 団体となる。
2022 年「NPO 法人 bankup」に名称変更。

 

前日の大雪が歩道に残る 2 月の中旬。頭上を歩道橋が覆う道の角を曲がると、なだらかにくだる斜面の向こうにレンガ色の建物が見える。学生とすれちがいながら青信号を渡り、校門を通って、鳥取大学コミュニティ・デザイン・ラボ ( 通称 “CDL” ) を訪れた。

まるにわメンバーを紹介するインタビュー企画 第2回は、特定非営利活動法人 bankup ( 旧・学生人材バンク ) の代表理事で、まるにわの監査役を務める中川 玄洋 ( なかがわ げんよう ) さんに、お話を伺った。

CDL の 1F オープンスペースは、イベントが開催されていない時には学生の打合せや自習室として開放されている。パーテーションの奥の事務スペースで、玄洋さんは管理人として常駐しながら、自治体への提出資料を作成していた。

玄洋さんは、2002 年に学生団体を立上げ、2008 年に NPO 法人化を経て 2022 年に 20 周年を迎え「NPO 法人 bankup」へと名称変更を行なった組織の代表を務めている。bankup は、自治体等から委託を受けて、各種イベントの企画運営を行う NPO 法人だ。

特徴的なのは、鳥取大学の学生を対象にボランティアやアルバイトの関りしろを提供している点で、学生スタッフは 100 人、2021 年度に同団体を通じて活動に参加した学生数は、延べ 500 人にのぼった。

bankup の活動内容は多岐にわたる。まずは大学生の地域プロジェクトの支援である。「農村 16 きっぷ」や「三徳レンジャー」など、大学生が中山間地の集落で農作業など地域の方のお手伝いをするものである。また企業や社会人向けのプログラムも行なっており、「長期実践型インターンシップ:鳥取シゴト留学」や「アジトノウタゲ ( 学生&社会人交流会 ) 」など、学生が地域の中小企業と接する場づくりをしている。また、ご自身も移住者であるが、似たような環境である、”地域おこし協力隊”が地域で活動するのをサポートする「地域おこし協力隊支援」なども行なっている。常に新しい仕掛けにチャレンジしており直近では、毎週 zoom で各地の人とテーマを決めて話し合う「オンライン関係人口未来ラボ」の取り組み、アーティストが地方を訪れて創作活動をする「ANA meets ART “COM”」の鳥取エリアの運営サポートなど、活動の幅は人もジャンルも問わなくなっている。

玄洋さんは、自社の活動を「平和な人さらい」と表現する。

「共通しているのは、そこにはいないタイプの人をつれてきて、プロジェクトを起こすということ」

農業体験や地域住民との交流を望む大学生と、農作業の人手や若者との交流を求めている農山村をマッチングさせることが「農村 16 きっぷ」になっているし、地方企業でプロジェクトをやっているのが「鳥取シゴト留学」となる。やりたいことがある人と人、人と地域をつなげて、双方に win-win の関係をつくりだすのが bankup の役割だ。

 

秘密基地をつくった子ども時代

静岡県出身で、高校卒業までを沼津市で過ごした玄洋さん。子ども時代について尋ねると、「子どもの頃から、モノをつくるとか、“場をつくる”ということが好きだったように思います」と語る。

玄洋さん一家が幼少期に住んでいたのは、お祖父さんが経営するガソリンスタンドの社員寮。敷地内には使われていない道具倉庫があり、タイヤや器具等が山積みにされていた。

玄洋少年は倉庫内の道具を組み合わせて小屋を建て、プラスチックの繊維で作られた洗車機のブラシをソファがわりにして、秘密基地を作った。放課後にはよく友達を呼んで遊んだそうだ。

中学生時代には、生徒会を経験した。前期の会長選挙に負けて書記をやり普通は続けることはないのだが、もう 1 回会長選挙に出て生徒会を続けた。部活だけではないコミュニティを持つのは、高校時代には応援団につながり。学校:部活:その他何かという複業人生を歩むのである。

 

「面白そう」を原動力に鳥取へ

地元の沼津を「住みよい場所だった」と表現する玄洋さん。鳥取に移住して、もう 20 年以上が経つが、高校生までは沼津との関わり方を深く考えることはなかった。

鳥取大学に進学したきっかけは、高校の夏休みの宿題。読書感想文の課題図書として出会った「砂漠緑化への挑戦」 ( 遠山柾雄著 読売科学選書 1989 ) だった。鳥取大学乾燥地研究センターの助教授だった遠山柾雄氏が、砂漠化が進行する海外の地で節水農法を成功させたことが書かれた書籍だ。

その本を読んだ高校 2 年生の玄洋さんは、犬の散歩をしながら考えた。

「世界はいま砂漠化している。砂漠の仕組みを研究して、緑化を進めたら面白いんじゃないか」

その思いをもって、鳥取大学に進学を決めた。

鳥取大学農学部に入学してからは、環境サークルに所属し、砂漠緑化以外の環境問題や農業問題に触れることとなる。技術開発に当初は興味があったが、それを使う人の面に興味が変化した。中山間地の集落で間伐や草刈り清掃等を手伝う森林ボランティアなどに参加した。その活動を通じて地域の方と交流し、「地域のおじさん・おばさんたちと飲むと面白いな」と感じたという。

 充実した大学生活を送るなか、環境サークルの活動で出会った地域の人に「 ZIT ( ジゲおこしインターネット協議会 ) 」というコミュニティを紹介してもらう。サークルよりも地域の社会人との接点が増えて、飲み会やイベントのサポートをさせてもらうなか。ふと地域の経営者が漏らした一言が気になった。

「玄ちゃんが卒業しちゃったら、この活動も終わっちゃうよね」

地域に入る大学生は、数年に一度活動的な人材が現れるしかし引継ぎが難しく後輩が更に後輩を誘っても3期くらいで無くなることがほとんどであったそうだ。

自分も学びになった地域との接点を続けていきたい、その思いをカタチにすることにして「学生人材バンク」を立ち上げた。

当時は大学院 1 年生。23 才の春だった。

 

「学生人材バンク」( 現・bankup ) の立ち上げ

学生人材バンクの立ち上げの理由を尋ねると、さまざまな背景があったことがうかがえる。地域の方と学生との交流を継続的な活動にしていくことで、地域側にメリットがあることはもちろんだが、学生側にとっても、学生が抱える課題を解決するひとつの方法になることが大事である。

学生の課題。そのひとつは、玄洋さんが大学に入って感じた“自由度の高さ”に由来するものだ。高校までの学生生活と違って、大学生は受講する講義からサークル、アルバイト、余暇の使い方など、基本的にはすべて学生自身が選択することができる。

玄洋さんのように自ら面白いことを見つけ、大学 4 年間を楽しめる学生はいいが、自分で選択することが難しい学生も一定数存在する。そもそも選択肢があることを知らない、選択に迷っている、あるいは選択からこぼれ落ちてしまう学生が、大学外活路を見出す場所をつくりたいというのが理由のひとつでもあった。

またひとつには、やりたいことがある学生がそれを大学内には実現する場所がないということだった。例えば、創業当時、鳥取大学農学部の学生は 1 学年に約 150 人いるが、そのうち農業実習を受けられるのは定員の 40 人で、ともすれば一度も田畑に触れずに卒業するケースも有り得る。実際に農業体験をしてみたい、農山村の地域活動に関わりたいと思っても、その選択肢を切り拓いていける学生は多くない。

それなら、その“場”をつないであげればいいのだと玄洋さんは考えた。

2002 年の団体立ち上げ当初は、学生に対するメーリングリストでの情報発信と様々なボランティア参加、特に農山村ボランティアを主な活動としていた「学生人材バンク」だったが、2004 年にはこの活動が鳥取県から評価され、「農山村ボランティア事務局」として委託を受け、県の事業として全県で取り組まれるようになった。

2007 年まで、個人事業主として「学生人材バンク」を運営していたが、売上が 1000 万円を越えるようになった辺りから、一人では捌ききれなくなった。常時手伝ってくれる学生スタッフはいたが、米子など遠方での仕事も入るようになり、企画も運営も事務局の人手がないと回らない。そこで、農村に興味のある仲間を雇うことにしたのをきっかけに、2008 年に NPO 法人化に踏み切る。

 

今も昔も、応援団長

「学生人材バンク」の立ち上げには、地域の人をはじめ多くの“面白い大人”が応援してくれた。今度は応援する側に回りたい、と玄洋さんが考えたのは自然な流れだった。

以降、玄洋さんは大学生をはじめ、農山村で暮らす人たちや、中心市街地を盛り上げたいと頑張っている人たちなど、多くの人の話を聞き、背中を押し、人と人をつなげている。

「今は、地域でスキルを持っている人が、そのスキルを活用して“小商い”ができるような仕組みを作りたいと考えている」と玄洋さんは話す。

高校では応援団に所属し、応援団長も務めた玄洋さん。まっすぐに伸ばされた両腕が、今日も誰かを励ましている。

 

家庭が最優先

「家族が面白がりながら、理解してくれないと終わると思っているので」

多忙な日々を過ごす玄洋さんに、本業と副業と家庭の優先順位を尋ねてみたところ、「最優先は家庭」だと真剣な顔で返事がかえってきた。玄洋さんは 2 児の父で、奥さんのご実家で暮らしている。家族の理解がなければ仕事は成り立たない。学生人材バンクの仕事に関する奥さんの言は、「結婚した頃は分かっていたつもりだけど、今はまったく分からない」と笑いながら話しているそうだ。団体の活動内容は年を追うごとに多様化しているため、玄洋さん自身でも“謎”だと思うほど。

「謎だけどいい仕事してる、という認識を保ちたいですね」

ボランティアやアルバイト、大人との交流会などを通じて、学生を預かる仕事をしているだけに、「人様の子どもにかまけて、自分の子どもとの時間をつくらないというのはおかしいよなと思う」と、ここでも父親として子どもへのまっすぐな向き合い方が伝わってくる。

まるにわの MTG 前のメッセンジャーでも、『その日は子どもを寝かしつけてから行くので、20 時以降になります』という返信があり、読む側もあたたかい気持ちになる。子どもの予定は予測不能だ。時には 2 つの zoom 打ち合わせを同時にかけもちすることもある玄洋さんの、タイトなスケジュールを管理する卓抜した能力は、子育てを通じて強化されている部分もあるのかもしれない。

奥様とのなれそめとか、家族の話など楽しそうに話してくれた。大学から駅前に向かう車の運転席で、玄洋さんは前を見ながら話していた。簡単なことのようにお話しされていたけれど、全然簡単ではない。難しいことを、簡単なことのように実現してしまう大人はかっこいい。そう感じさせる横顔だった。

 

これからやりたいこと

まるにわでの玄洋さんは、役員を務めている。「bankup」のオフィスを MARCHING bldg. の 1F に構え、本業の傍ら、イベントスタッフやファシリテーターとして携わる。「この人とこの人を会わせたら面白そうだな」という感覚をもとに、鳥取に留まらず、日本全国のネットワークから、まちづくりに興味がある人をつなげている。そんな玄洋さんに、これからやりたいことを聞いてみた。

「まるにわでは、MARCHING bldg. の 1 階を、まちのひとが連携できる場所にすることです。近くの物件で、リノベーションによる“場づくり”をしたいという人がいれば、その輪を広げていきたいと思う。齋藤社長の言う「エリアとして強くなる」というのは、一般の人にもわかりやすい形だと思うし、周辺に仕掛ける人が増えると、このエリアはもっと面白くなる。」

「本業 (「bankup」) のほうでは、働き方の多様性を作りたいと考えています」

コロナ下でリモートワークが一般化し、業務委託や副業など、社会でもさまざまな働き方が広まりつつあるなか、地域の大学生のアルバイトについても、例えば「bankup」が企業から業務を受託して学生アルバイトを雇用することで、学生の支援につなげられる事業がつくれないかと。自粛生活の長期化で、大学生の貴重な収入源であるバイトの働き口は減少し、保護者の就業環境の変化もあり困窮する大学生の増加が社会問題になった。

「bankup」でも、2020 年 8 月に「YELL FOR -学生・地域応援プロジェクト-」を立ち上げ、20 名以上の学生を支援してきた。

長期的な展望としては、「いろんな人が、少しずつお金を稼げる社会にしたい」と玄洋さんは話す。社会のみんなの時給を上げていかないと、誰もお金を使わない。普段より少しリッチな夕飯にする、家に絵を飾ってみる、そうした生活のゆとりが生み出されなければ、生活に必要最低限のもの以外は姿を消してしまう。必要なものしかない生活は、本当にゆたかな生活とは言えないだろう。

「得意技を換金できる、自分の持っている能力が社会の役に立ってお金にもなる、そういう人を増やしたいと思っていて…ボランティアでもそうですけど、人間は役割を与えられると輝くんですよね。人間は役割がないとさみしいんですよ」

これまで多くの人の居場所を作ってきた、玄洋さんらしい未来像だった。

 

※本インタビューは2021年2月にお話を伺いました。今回の公開に合わせて、事業年数などを公開日にあわせております。

高橋さくら

物書き、マーチングビルの広報部長

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